金型破損の恐怖
「この業務を引き継ぎして!」と言われた時、製造経験2年で生産技術部に移動したばかりの駆け出しだった。原価低減要求に応えるべく切削加工している部位の鍛造化がミッションだった。「まだ3年目の僕に?」と言うより、「いきなりこれ!? だって先輩達がトライするも失敗ばかりで何度も挫折しているのに…」声にならない心の嘆きが込み上げてきた。
歴史はこうだ。最初は4年前に現品質保証部次長が鍛造化に挑戦するも、数本加工しただけで何万円もする金型が壊れてしまい断念。
次に引き継いだ現生産技術部次長は、図面通りの形状で金型設計したが1ヶ加工しただけで破壊し失敗。後に分かったが、アルミが密閉打ちされて金型の隅部に応力集中が原因だった。
その原因を打破するために形状変更や逃がし溝をいれるチューニングをし、満を持していざ試打ち。一撃で金型破損、モチベーションも一撃破損した。通常より硬度の高いアルミT6材(熱処理材)の複雑形状の鍛造化は不可能というのが先輩方の見解だった。
安らぎや仕事のイロハを教えてくれる偉大な先輩2人が挫折しているのに、この僕がやれるわけがない!と心の中で叫んだ。半ば諦めた気持ちのまま挑戦を始めた。しかし今思い返してみると、不可能という見解であったのに僕に託されたのには、先輩方の期待や成功の可能性を僕に見出してくれていたのかもしれないとも思う。
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金型破損の恐怖
どう攻めるか…悩んだ挙句先輩の応用でやってみるも失敗。「駄目だ!基礎を理解していなのがいけないんだ!」と鍛造に関わる文献や本を読み漁り応力の流れ方について学んだ。詰め込んだ知識を活かして応力分散できる形状に金型変更しトライ、数百本打つことができた!
「やったぞ。いけ!いけ!」
喜んだのも束の間、3,000本程度で金型が破損し現実に引き戻され落ち込んだ。
しかし、先輩方より明らかに成功に向かっている兆しが見えた中、挑戦を応援してくれていた営業部のひとりが「金型の材質を変えてみたら?」と何気ない一言。
彼は何時も気にかけてくれていて、苦労しながら情報収集しているのをひた隠しし、いとも簡単に僕に言い放った。
なんと10,000本を超え、とうとう量産への道が開きはじめ、金型破損の恐怖を乗り越えた瞬間が訪れた。毎日現場へ足を運び状況確認し、「今のところ問題は起きていない」と聞けば、人に見えない所で「ヨシ!」と気合を入れたのを覚えている。
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金型破損の恐怖
だが、ある朝いつものように出勤してみると現場に人だかりがあり、とても嫌な予感がしてきて駆け寄った。
金型が一度破損しただけなら良かったのだが、交換した新品金型が数百個加工しただけで破損した、と聞いた。
「何でだ?10,000本超えた実績があったのに…まだ応力の逃がし方が不十分だからか…」
複雑な気持ちに苛まれながら原因究明に再度追い込まれた。
更に追い打ちをかける状況は、ラインストップか金型入荷が早いかという綱渡り状態の生産活動になったことと、破損と購入を繰り返している内に金型購入費が自分の月収の何倍にものぼり、プレッシャーも重く眠れぬ日々が続いた。
生産状況を考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになり、僕を気遣う皆の優しい言葉が身に染みた。
ラインを繋ぐことに必死な現場を見て「必ず、俺が成功させてやる!」と奮い立った。
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金型破損の恐怖
「必ず応える!」この気持ちを糧に自分が思っていた、応力が相殺される形状は間違っていないはずと信じ研究やトライ&エラーを繰り返していたが、ある時隅部に集中する応力を分散させるなら金型を2部品に分割したら応力が逃げるのでは?ハッとひらめいた。
ひらめきは直ぐに期待に変わり、金型を芯がねとスリーブに分割してトライしてみた。すると一気に10万本まで加工出来るようになったのだ。もの凄い達成感が込み上げてきたと同時に、今までの苦労を忘れてしまうような瞬間がついに訪れた。
「いやもっと出来るはず!?」試行錯誤を繰り返しながら15万本、30万本と安定して生産出来るようになり金型破損も発生しなくなった。
金型破損の恐怖とおさらばし、応力分散を見込んだ独自金型が作れるようになったのだ。勿論、先輩方の失敗があって成功につながったのは分かっている。
でも、空に向かって小さなガッツポーズをさせてもらうよ。
最後に言わせて欲しい、
「やったぜ!アルミT6材の複雑形状鍛造化、技術確立出来たぞー!!」
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